
奈良と伊勢を結ぶ街道のひとつである初瀬街道は、峠の名前をとって「青山越え」と呼ばれたり、麓にある村の名前から「阿保【あお】越え」「小倭【おやまと】越え」と呼ばれていました。青山峠の東坂本にあたる宿場である垣内宿は、峠を越える英気を養うため、また、峠を越えてきた旅の疲れを休めるために欠くことのできない宿場でした。
江戸時代の末には戸数は70戸以上もありました。伊勢神宮へお参りする人などでにぎわい、旅籠【はたご】(当時の旅館)は常時300人以上の収容能力があったといわれています。屋号も30数戸が知られています。
温故知新!
倭人のふるさとに
初瀬街道垣内宿を追加しました。 土地の歴史って結構面白いものです。
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